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 配信日2021.11.12 最終更新日2021.11.27

 直近のことです。自宅でニュースを観ていると、……

 短歌は当初、「神経の回路錯乱に動揺し”老人力”と崇めて過ごす」と詠んでいました。「老人力」は、赤瀬川源平著『老人力』(筑摩書房、1999年)において、衰えや忘却を肯定的に捉えようとして用いられた概念です。

 しかし、誰でも容易に理解できる便利な言葉である常套句や慣用句は、手っ取り早く伝えられる分、類型化してしまい、それ以上の描写を怠ってしまうので、短歌では避けるべきことの一つとされています。ちなみに、永田和宏著『新版 作歌のヒント』(NHK出版、p.113)には「慣用句の逆襲」として紹介されています。

 そのような指摘を思い出し、有名になり過ぎて慣用句化した「老人力」という言葉は、それを使うことによって思考停止してしまっていたと気付きました。

 そこで、推敲を重ね、「混信後の動揺は数秒にして四コマネタに揺るる六日間」と詠みました。

 以上によって、四コマ短歌を楽しんでいる様子を描写するのに、”楽しい”のような「主観的な形容詞は避けよう」(俵万智著『考える短歌』、新潮新書、p.152)という鉄則も満たすことができました。

 なお、四コマ目のイラストは神経回路(ニューロンやシナプス)を表しています。ウィリアム・カルヴィンは著書『知性はいつ生まれたか』(pp.6~pp.7、草思社、1997年)において、次のように述べています。(若い時、この種の本を読んでいました。文献の出版年が古いのはそのためです)

 近年になって、脳の部位と言語のいろいろな側面とを関係づける研究がかなり進んでいる。動詞はしばしば前頭葉で見つかる。固有名詞は、どうやら側頭葉を好むようだ。色や道具の概念は左の側頭葉のもっと後部で見つかることが多い。

 しかし、知性はプロセスであり、どこにあるということはできない。一種の即興であり、「まさにそこ」なる場所はたえず動いていて指し示すことができないのだ。知性とは脳のさまざまな部位を使って新しい意味を手探りするプロセスなのだ。

 尤も、歌人や研究者の著書を引用してみたところで、所詮、ロボットとドロボウを言い違えたことを描写するのに六日間も費やして楽しんでいる程度の私の「知性」は、低レベルという他はありません。

 

 テレビを観ている家族とテレビは「いらすとや」、アナウンサー・ペットボトル・ロボットはillustAC、神経回路は有料のPIXTAを利用しています。