出(い)づ

当初掲載日:2017.09.16、最終更新日:2017.10.22


A.ミノムシの糞

出る、出づ、落ちる、落とす、フン、糞、ミノムシ、写真短歌、フォト短歌、写短、紫陽花法師
自宅、2015.08.30(Sun)、16:45 Canon EOS 70D 、EF100mm F2.8L マクロ IS USM 100mm F2.8 1/1600秒  ISO2500

 

  2015年8月、自宅の庭の木に大量発生したミノムシを撮っている時、尻を震わせ始めたものがいました。糞が落下する瞬間を撮ろうと狙っていましたが、残念ながら撮れませんでした。

 「我が胆石」の文字の左がミノムシの「尻」です。尤も、ミノムシは蓑の中に入っているので、蓑の下の方の穴のある周辺を「尻」に見立てているに過ぎません。

 

 さて、この短歌は、ミノムシの糞が、その6年前に私の胆嚢から摘出された胆石(今もビンに入っています)に大きさと形が似ていたことから詠んだものですが、以下のように推敲を重ねました。

 素人が自分の駄作を解説するのは如何がかと勿論思います。しかし、駄作でも記録することで将来の反省に活かせることもあるだろう。いや、記録する過程で理解が深まるということは、短歌以外で何回も経験しているので、短歌でもそうしようと思いました。

 

今まさにミノの尻揺れ落ちしフン我が胆石と大きさ比ぶ

  • この写真で最初に詠んだ短歌です。製本版の『写真短歌は面白い』に収めました。この時点では、題を「落つ」としていました。

 ②ミノムシの尻震わせて落としフンわれ胆石と比べて遊ぶ

  •  次回(2017年10月)の歌会の二次会での話題の一つになればいいと思って、伊藤先生の若山牧水本をネット検索すると、武富純一氏のブログに『若山牧水 その親和力を読む』の書評がありました。牧水の生誕130年となる2015年に発刊され、毎日芸術賞と現代短歌大賞を受賞した本です。
  • 早速注文し、受け取ったのが9月11日。3日後には読み終わったのですが、最後の章に牧水の「水色の羽根をちひさくひろげたりと見れば糞は落ちはなれたり」が取り上げてあり、次のように解説されていました(P.240~241)。

小鳥の美しい羽根や啼き声は格好の材料である。しかし、糞するところを敢えて歌う人は少ないだろう。牧水は糞するところを静かにじっとながめ、小鳥の排泄がぶじに終わってよかったとホッとしている。糞を落としたではなく「糞は落ちはなれたり」の表現が巧まざるユーモアで、糞よ出てくれてありがとうの気持ちが込められている。

  •  この解説を9月14日に読んだ私は、「10月の歌会の詠草は、2年前にミノムシの糞を詠んだ短歌にしよう」と思いました。そして、①の短歌を見直して、とりまとめの方に②の短歌を送りました。
  • 尤も、この時点では「落ちはなれたり」の解説は思い出していませんでした。思い出していれば、いや理解していれば、「落としフン」とは詠んでいません。
  • ①の「胆石と大きさ比ぶ」を②では「胆石と比べて遊ぶ」に変えたのは、比べたのは大きさだけでなく色艶もだからです。嗅覚、触覚、味覚は、残念ながら、使っていません。聴覚は、ミノムシが尻を震わせたり、糞が葉っぱに落ちた時に使っていますが、胆石が取り出された瞬間の音は、麻酔で眠っていて記憶にありません。

③ミノムシの尻震わせて出でし糞 我が胆石と美を競うかな

  •  しかし、まだ②では満足できません。上の句は、①は「落ちしフン」としてフンが主語。②は「落としフン」としてミノムシが主語。上の句の主語はフンにする方がよさそうだと思いました。
  • 下の句も、「比べて遊ぶ」のように我を主語にするのでなく、フンを主語にしようと思いました。何を主語にしようと、詠んでいる自分が、面白がっている自分が主体であることは言わなくても分かるからです。
  • そのような観点から上の句を見直しました。②の「ミノムシの尻震わせて」の「の」は、主格を表す助詞ですが、「ミノムシの尻震わせて」に続く第三句を「出でし糞」とすることで、「の」は所有を表す連体格の助詞に変わりました。つまり、③では「糞がミノムシの尻を震わせて出てきた」という構図にすることができました。
  • 次に、下の句は糞が「美を競う」としました。そして、美貌の持ち主に相応しいように、②までの「フン」ではなく、漢字の「糞」を使いました。こうして 9月15日に③が出来上がり、詠草として送りました。

  • その後、この写真短歌をサイトに掲載するために『若山牧水 その親和力を読む』を読み返していて、「落ちはなれたり」に気付きました。「糞」を主語にすることで、結果的に「落とす」にせず良かったと思いました。

 さて、私は、牧水の小鳥より遥かに小さなミノムシを観察し、その糞を同じく素材として詠みました。牧水は小鳥の視点から、排泄が無事に終わってよかったと詠み、私は排泄されるべき糞の視点から、その形状と色艶を胆石と比較して詠みました。「糞にまで感情移入する気持ちは理解できない」と思われる方もおられるでしょうね。

 かつて、みぞおち付近の激痛の原因が分からず1年以上も自分を苦しめた胆石すら、苦痛から開放された後は、他の場面でもユーモアを交えて素材として扱っています。次回歌会で一票獲得できるでしょうかね。

 

ミノムシの尻震わせて出でし糞 我が胆石と競う丸っこさ 2017.10.09追記、10.22修正

 

 さて、10月7日(土)の「心の花」宮崎歌会において、③の歌が一票獲得しました。入れてくれた方には、あらかじめ用意しておいた2Lサイズの写真短歌を差し上げました。そして、伊藤先生から指摘を受けたのは、結句の「美を競うかな」です。

  • 「かな」や「かも」は古い。
  • 「美」以外にするのがよい。

 詠嘆の「かな」については、『史上最強の三十一文字』(文藝別冊 総特集 俵万智)に山田航さんが「俵万智が切り拓いたもの」という論考を載せておられ、その中の”「かな」「けり」を捨てた詠嘆”というタイトルで解説されています。短歌が「かな」や「けり」を使わずにポピュラリティを得るための課題に対する俵万智さんの答えが、結句を「二音の動詞+五音の体言止め」とするスタイルであった、と。例えば、次の歌です。

 

 「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

 

 山田航さんの見解は、9月に読んでいたのですが、まだ活かすことができず、③の歌を提出しました。伊藤先生の指摘を受けて、④のように「動詞+体言止め」にしてみました。

 そして、「美」については、胆石と類似していたのが大きさ・色艶・形状でしたので、形状に限定して「丸っこさ」としました。

 なお、私の「牧水・短歌甲子園 観戦記」というブログの中で、伊藤先生の講評として俵万智さんの句跨りを取り上げています。私の④の短歌は句跨りになっていませんので、今後取り入れます。

 

⑤ミノムシの尻震わせて糞出でし 我が胆石と競う丸っこさ 2017.10.10追記

 

 昨夜、④の短歌を載せましたが、体言止めが2箇所になったことに翌日気付きました。「体言止めは一つだけにしよう」とは、俵万智さんの『考える短歌』(新潮新書)の第三講のタイトルでもあります。それは理解していたので、10月7日(土)の「心の花」宮崎歌会の詠草に有った二つ以上の体言止めの作品が取り上げられれば指摘しようと、『考える短歌』を持って行きました。その詠草は取り上げられず、指摘しませんでしたが。

 さて、④の三句の「出でし糞」を体言止めにしないためには、「糞の出づ」または「糞出でし」とするのが良いと考え、上記のようにしました。