当初掲載日:2017.09.16、最終更新日:2017.10.22
A.ミノムシの糞
2015年8月、自宅の庭の木に大量発生したミノムシを撮っている時、尻を震わせ始めたものがいました。糞が落下する瞬間を撮ろうと狙っていましたが、残念ながら撮れませんでした。
「我が胆石」の文字の左がミノムシの「尻」です。尤も、ミノムシは蓑の中に入っているので、蓑の下の方の穴のある周辺を「尻」に見立てているに過ぎません。
さて、この短歌は、ミノムシの糞が、その6年前に私の胆嚢から摘出された胆石(今もビンに入っています)に大きさと形が似ていたことから詠んだものですが、以下のように推敲を重ねました。
素人が自分の駄作を解説するのは如何がかと勿論思います。しかし、駄作でも記録することで将来の反省に活かせることもあるだろう。いや、記録する過程で理解が深まるということは、短歌以外で何回も経験しているので、短歌でもそうしようと思いました。
①今まさにミノの尻揺れ落ちしフン我が胆石と大きさ比ぶ
②ミノムシの尻震わせて落としフンわれ胆石と比べて遊ぶ
小鳥の美しい羽根や啼き声は格好の材料である。しかし、糞するところを敢えて歌う人は少ないだろう。牧水は糞するところを静かにじっとながめ、小鳥の排泄がぶじに終わってよかったとホッとしている。糞を落としたではなく「糞は落ちはなれたり」の表現が巧まざるユーモアで、糞よ出てくれてありがとうの気持ちが込められている。
③ミノムシの尻震わせて出でし糞 我が胆石と美を競うかな
次に、下の句は糞が「美を競う」としました。そして、美貌の持ち主に相応しいように、②までの「フン」ではなく、漢字の「糞」を使いました。こうして 9月15日に③が出来上がり、詠草として送りました。
さて、私は、牧水の小鳥より遥かに小さなミノムシを観察し、その糞を同じく素材として詠みました。牧水は小鳥の視点から、排泄が無事に終わってよかったと詠み、私は排泄されるべき糞の視点から、その形状と色艶を胆石と比較して詠みました。「糞にまで感情移入する気持ちは理解できない」と思われる方もおられるでしょうね。
かつて、みぞおち付近の激痛の原因が分からず1年以上も自分を苦しめた胆石すら、苦痛から開放された後は、他の場面でもユーモアを交えて素材として扱っています。次回歌会で一票獲得できるでしょうかね。
④ミノムシの尻震わせて出でし糞 我が胆石と競う丸っこさ 2017.10.09追記、10.22修正
さて、10月7日(土)の「心の花」宮崎歌会において、③の歌が一票獲得しました。入れてくれた方には、あらかじめ用意しておいた2Lサイズの写真短歌を差し上げました。そして、伊藤先生から指摘を受けたのは、結句の「美を競うかな」です。
詠嘆の「かな」については、『史上最強の三十一文字』(文藝別冊 総特集 俵万智)に山田航さんが「俵万智が切り拓いたもの」という論考を載せておられ、その中の”「かな」「けり」を捨てた詠嘆”というタイトルで解説されています。短歌が「かな」や「けり」を使わずにポピュラリティを得るための課題に対する俵万智さんの答えが、結句を「二音の動詞+五音の体言止め」とするスタイルであった、と。例えば、次の歌です。
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ
山田航さんの見解は、9月に読んでいたのですが、まだ活かすことができず、③の歌を提出しました。伊藤先生の指摘を受けて、④のように「動詞+体言止め」にしてみました。
そして、「美」については、胆石と類似していたのが大きさ・色艶・形状でしたので、形状に限定して「丸っこさ」としました。
なお、私の「牧水・短歌甲子園 観戦記」というブログの中で、伊藤先生の講評として俵万智さんの句跨りを取り上げています。私の④の短歌は句跨りになっていませんので、今後取り入れます。
⑤ミノムシの尻震わせて糞出でし 我が胆石と競う丸っこさ 2017.10.10追記
昨夜、④の短歌を載せましたが、体言止めが2箇所になったことに翌日気付きました。「体言止めは一つだけにしよう」とは、俵万智さんの『考える短歌』(新潮新書)の第三講のタイトルでもあります。それは理解していたので、10月7日(土)の「心の花」宮崎歌会の詠草に有った二つ以上の体言止めの作品が取り上げられれば指摘しようと、『考える短歌』を持って行きました。その詠草は取り上げられず、指摘しませんでしたが。
さて、④の三句の「出でし糞」を体言止めにしないためには、「糞の出づ」または「糞出でし」とするのが良いと考え、上記のようにしました。
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